続。愚の骨頂。謝ってばかりの文部省。時代錯誤も甚だしい。そもそも大学受験は公平などではない。

みなさんこんばんは。高上代表佐藤一行です。うさぎさんに任せきりでこちらのサイトにブログを書くのは本日が初めてになります。


今日はほかでもない、文部省の大学共通試験における、記述式問題の撤回について猛批判致します。


①何のための改革だったのか?


元々、今回の変更に関しては問題点は指摘されていました。それはこのあと語るとして、私は、デジタル時代において日本語もろくにかけない若者が多くいる中、国語において記述を取り入れるのには賛成でした。
英語に関しても同様ですし、数学だって同じです。
正しい答えを選ぶのではなく、自分で表現すること。「公平性」と言われるものを多少犠牲にしたって前に進むべきだと思っていました。


②公平性とは何か?


同じ基準で皆が採点されることです。
①が答えならば、①を選んだものは全員正解になります。
しかし、考えても見てください、①を選んだ人間は正解を自ら導いたとは限らないのです。わからなくてテキトーに①を選んだ人だっている。
そんな場合、きちんと答えた①と運で選んだ①が同じ点数になることのどこが公平なのでしょうか?
記述の場合そこらへんはより正確に分かります。
みな表面的なところに目を向けすぎているのです。
やれ採点が公平ではなくなるだの、自己採点ができなくなるなど。


③そもそも公平性などない。


そもそも記述式を導入する時点で、きちんとした公平と言われる採点など不可能と言われていました。
ただし、そんなもの大学の二次試験でだって、全く行われていません。この業界に経験のある講師なら得点開示と答案の再現を見て
なんでこの答案でこんなに点数が低いんだ?
とか逆に
これでこんなに取れているの?
と驚いたことはあるでしょう。
はっきり言います。
みなさんが公平だと思っている、大学の教授の採点など全く公平などではありません!!


④ベネッセの採点について

そして今回は採点するのがベネッセの予定でした。
みなさんバイトが採点とか、そういう一部の情報ばかり言っていますが、実際には一つの答案に三人が目を通すとまで書かれていました。
受験生の答案に対し、採点のプロが三人も目を通して採点する。これ以上公平な採点など、現実問題望めなかったでしょう。
少なくとも、えり好みの激しい大学教授の採点よりはよほど信頼できると言う物です。


⑤身の丈発言について


これを批判している人間も全くの論外。別に私だって普段学生に似たようなことを言うことはあります。無謀な挑戦ばかりさせるような無責任な講師ではありません。
授業料を受け取っている以上、責任をもって、合格させなければいけません。
そしてこれ以上に言いたいこととして、他人に身の丈に合ったところを受けろと言われたくらいで、落ち込むくらいであればそもそも大学入試で無理な挑戦などするべきではないのです!!
⑥努力を測れてこその公平。
最後に繰り返します。今のセンター試験など、運も実力のうちだとか少もないようなことを言う人間でなければ、全く公平などではないのです。
きちんと勉強して正解の①を選んだものと、勘だけを頼りに①を選んだものに同じ3点などおかしいでしょう!!
記述式になれば、そう言った点はなくなる。わかっているかどうかがわかる。
自己採点が正確にでなくて不安だとか、採点が公平ではないから嫌だとか言っているのは、単に勉強をしたくない弱者かつ意志薄弱な者のぞんざいな言い訳に過ぎないのです。
文部省には撤回の撤回を。そして若者にはどんどん発信力を高めてもらいたいものです。
高上代表 佐藤一行

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