背水の陣で挑んだ埼玉医科大学

背水の陣だった2浪目

私は以前にも書いたが、2浪した。2浪目はもうあとがなかった。それは私だけではなかった。親たちにとってももうあとはなかった。結局は2浪したが、2浪することさえもはじめから素直によいといわれたわけではなった。ただ、わがままを言って2浪をさせてもらっていた。

1浪目は、私立大学の医学部は順天堂大学、昭和大学、東邦大学の3校しか受けなかった。

模試の成績からどっかには合格できると思っていた。ただ、やはり倍率が20~30倍にもなる私立大学の医学部は模試でずっとA判定を出していても100%合格するとは言い切れないのである。

2浪目は、親がもう医学部に合格してくれさえすればもうどの学校でもいいから、うかるか受からないはわからないから、学費がのことは考えずにいろんな偏差値の大学を受けてみなさいと言ってくれた。

埼玉医科大学を選んだ理由

埼玉医科大学は6年間にかかる学費が4,000万円を超える。私立大学の中でもトップクラスの学費の高さだ。そのために、偏差値は低い。そういった大学の受験を親が許してくれたのは、埼玉医科大学が埼玉県の医療において大きな役割を担っていることがあげられる。医学部がある国公立大学がない埼玉県のとって、埼玉医科大学が担う役割は大きい。埼玉県で医大といえば埼玉医科大学なのだ。埼玉県民にとってはなじみのある大学ともいえる。

埼玉医科大学は立地がとても悪い。最寄り駅は2両編成の1時間に1本しかない電車しか走っていない。ただ、私は祖父母の家が近くにあり、自転車で通うことができた。そういった理由もあって、埼玉医科大学を受験することにした。

センター試験のような問題

埼玉医科大学はすべてマーク式になっている。問題の難易度は易しい。センター試験よりも少し難しいという感じだ。私が受けた医学部の中では、問題は一番簡単だった。医学部のなかでもトップクラスで問題が易しいと思う。また、数学などは、「sin108°を求めよ。」など典型的な問題が数値だけ問われたりもしていた。対策は、センター試験の問題と受験予定だった同じマーク式の日本大学の問題とレベル的には中間くらいだったので、特に対策はせずにセンター直後にあと3年分程度解くことを決めた。油断は禁物だが、自分の実力的にも確実に合格しなければならない大学だった。

緊張せずに完答することを目指す

埼玉医科大学の筆記試験は五反田のTKCビルで行われた。過去問で感じていたように、問題は易しく、時間も十分にある。焦って平常心を欠いてしまったり、つまらないミスをしてしまうことが一番怖かった。焦らずに、精度の高い答えを出すことを心掛けた。

問題は、どの科目もわからない問題はなかった。数学の途中でトイレに行きたくなり、広いが会場を歩かないといけなかったので、時間のロスになってしまったが、出来としては全体的によく、手ごたえは感じていた。

面接試験

面接試験は埼玉医科大学で行われた。先にも書いたが、立地はよくない。電車で行ったが、2両しかない電車は受験生と保護者でいっぱいだった。

大学につくと、待合室に通される。これは国公立大学も私立大学も同じなのだが、面接試験の待ち時間は人によって大きく異なり、5時間待たされることもある。待ち時間にしていいことは大学によっても違うが、学外に出てはいけないことと通信可能な電子機器を使用してはいけないことは共通している。埼玉医科大学は読書と持ち込んだものの飲食は許されていた。

面接は私が一人に対して4人か5人の試験官がいた。圧迫はなく、どうやって通学するか

帰りに電車に乗ろうとしたが、電車に30分以上待つことになってしまう。面説も終わってクタクタになっていたので一番近い乗換駅までのタクシーで移動しようとしたら、別の受験生に同乗を求められた。知らない人だったが、断る理由もないので一緒に乗った。

彼女は関西の子だったが、福岡や埼玉と受験に飛び回っているといっていた。

受かっても行かないとは受かってから言う

埼玉医科大学に関しては、私は受かってもいかない、いけないと思っていた。私の家庭はサラリーマン家庭であったし、もし合格しても家庭への負担が大きすぎる。罪悪感を抱えながら大学に通うことになるのではないか。そう思っていた。

ただ、医学部に行くということは医者になるというであり、返済能力が高いこともあり学資ローンが組みやすい。医師を養成するための奨学金は多く存在する。推奨は必ずしもできないが、本当に医師になりたいという気持ちがあるのであれば、学費が高くても受験をして合格してみることで様々な道が開かれる。

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